諸田玲子「波止場浪漫」出版記念会に800名が参加

 1月31日に開催した諸田玲子「波止場浪漫」出版記念会は天候にも恵まれ、広い会場に800名がつどう大盛況となりました。開会に尽力されたみなさん、応援してくださった企業や団体のみなさんに、御礼申し上げます。当日の様子は改めて報告させていただきます。

27年2月1日 次郎長翁を知る会



清水が生んだ偉才の人間像を伝えたい

  はじめに

竹内宏 次郎長は清水が生んだ偉大な民衆のヒーローです。文政3年(1820)清水港巴川沿いの旧家で生まれ、明治26年(1893)波止場の船宿「末廣」で幕を閉じるまでの74年の生涯は、文字通り波乱に満ちたドラマでした。

 暴れん坊の悪がき時代、旅から旅へのアウトローの時代、明治維新を境に180度転換し、世のため人のために尽くして完全燃焼した後半生。

 次郎長の真の人間像を多くの人たちに知ってもらうため、このホームページを開設いたしました。できる限り、新鮮な情報をご紹介しますので、宜しく御支援ください。また、多くの次郎長が好きな方からの御意見や情報をお待ちしております。

次郎長翁を知る会最高顧問  竹内 宏 


「次郎長」 (次郎長翁を知る会会報)

「次郎長」は会員向けに定期的に発行される、研究や活動の発表などを盛り込んだ情報誌です。今までの伝記にも出てこなかったエピソードや、地元から掘り出された新事実など読みごたえのある会報です。

第1号 平成4年10月20日 時代が動き人が動く 清水次郎長の後半生 会長 竹内宏
第2号 平成5年6月12日 いわき市へ 次郎長ツアー第1号 天田五郎と山本長五郎を結ぶ
第3号 平成5年10月20日 愚庵天田五郎と次郎長
第4号 平成6年4月1日 百年祭から次郎長元年へ
第5号 平成7年1月20日 矢田部盛治日記と次郎長 明治元年の赤心隊事件をめぐって
第6号 平成8年3月20日 明治の次郎長について  事務局長 服部令一
第7号 平成8年6月15日 市原市長も動き出した 次郎長を引立てた伏谷如水が結ぶ
第8号 平成9年6月12日 若者たちの作った次郎長物語  清水東高郷土史研
第9号 平成10年2月20日 明治の徳川慶喜と次郎長  清水港へ連日通った最後の将軍
第10号 平成10年6月12日 伏谷如水(浜松藩家老)に光を  次郎長を大変身させた官軍先鋒
第11号 平成11年6月12日 船宿「末廣」の所在地わかる
第12号 平成12年6月12日 船宿「末廣」いよいよ来春復元  港橋畔に
※第13号以降の会報はPDFファイルです。
第13号 平成13年6月12日 次郎長の船宿「末廣」復元なる
第14号 平成14年3月1日 遊侠伝の世界「歴博」の展示に
第15号 平成15年6月12日 文化があれば地名は残る  会長 竹内宏
第16号 平成16年6月12日 海の向こうに広い世界が
第17号 平成17年3月31日 舞台を前に清水港へ、加藤剛さん
第18号 平成17年6月12日 平成17年度總会開催へ 生誕200年に向けて
第19号 平成18年6月12日 次郎長で行かざあ! 町起しの会の立ち上げ
第20号 平成19年3月10日 清水に元気を!目指した「行かざあの会」の一年
第21号 平成19年6月12日 次郎長生家最後の子孫  副会長 長田三則
第22号 平成20年3月31日 【特別号16ページ】 次郎長フォーラム いまその人を問う
第23号 平成20年6月12日 次郎長の墓碑銘を書いた 榎本武揚没後100年
第24号 平成21年3月31日 お茶輸出150年 次郎長は
第25号 平成21年9月15日 日本一の茶のみなと100年
第26号 平成22年3月31日 岩波新書「清水次郎長」を読む
第27号 平成22年9月10日 森の石松はどのように創られたか  静大名誉教授 田村貞雄
第28号 平成23年3月31日 「富士のよく見える部屋を」鐵斎の清水
第29号 平成23年9月10日 次郎長と一人の医師 その史実は
第30号 平成24年3月31日 咸臨丸の最後 記録した旧幕臣杉浦梅潭
第31号 平成25年6月4日 田口英爾さん追悼特集
第32号 平成26年6月18日 咸臨丸事件と壮士墓

次郎長略年譜   その時日本と世界は (田口英爾氏作成)

次郎長の生い立ちから出来事、関わった人物などを見やすく年譜にまとめてみました。
 
西暦

年 次

年齢

事   蹟

日本と世界

1820

文政三年

01

1月1日 駿河国有度郡清水町美濃輪に生まれる。生家は薪炭を商う『薪三(まきさん)』。船持船頭三右衛門の次男。長五郎と名付けられ、母方の叔父、甲田屋(米穀商)次郎八の養子となる。次郎八の子の長男というので『次郎長』と呼ばれた。

ナイチンゲール生まれる。
文政6年(1823)オランダ商館医師シーボルト来日。
文政8年(1825)幕府による異国船打払令。

1826

文政9年

7

巨大な異国船と異国人(中国人)を目撃する。世界の広いことをしる。

中国の寧波(にんぽう)の貿易船『得泰号』が遠州吉田港に漂着。船体修理のため清水港に回航され、3ヶ月にわたって港内に碇泊、乗組員らが上陸する。

1827

文政10年

8

孫四郎先生の村塾に入る。

01

1828

文政11年

9

禅業寺の赤小屋で読み書きを学ぶが、いたずらが過ぎ退塾。

シーボルト事件起きる。

1829

文政12年

10

粗暴な性格を直すため、由比倉沢の伯父兵吉のもとに預けられる。

フランス七月革命(1830)。ファラデー、電磁誘導現象を発見。ゲーテ『ファウスト』発表(1831)。

1834

天保5年

15

粗暴な挙動改まり、甲田屋に戻る。江戸に行こうとして許されないため、百両あまりを持って家出。浜松に行き米相場で巨利を博し、清水に帰って家人を驚かす。

天保の飢饉・百姓一揆が激化。

1835

天保6年

16

養父次郎八死亡。長五郎は家業の米屋に精を出す。

山岡鉄五郎(鉄舟)生まれる。

1837

天保8年

18

養母、情夫と通じ家産を湯尽して家出。長五郎は妻(きわ)をめとり、家業の回復に勤める。

大塩平八郎の乱おこる。

1839

天保10年

20

旅の僧、長五郎の人相を見て、25才までの寿命と予言。賭博(とばく)の出入りをはじめる。

アヘン戦争(1840)始まる。

1841

天保12年

22

甲田屋に4人組の強盗はいる。長五郎これを追って重傷を負う。

幕府による天保の改革はじまる。

1842

天保13年

23

6月、驀地のもつれから巴川湖畔で小富、佐平を斬る。甲田屋を姉夫婦に譲り、妻と離別して無宿者となり、清水を離れる。三河の寺津(西尾市)に行き、今天狗の治助のもとに身を寄せ、さらに吉良の武一について剣術を学ぶ。 アウトローの道に入ってゆく。

南京条約・アヘン戦争の終結。

1845

弘化2年

26

遠州川崎で争いごとから負傷。傷を直して清水に帰る。津向の文吉と和田島の文左衛門が庵原川で対決しているところを長五郎が仲裁。侠客としての名声高まる。

01

1847

弘化4年

28

親友の江尻の大熊の妹『おちょう』をめとり、清水し仲町妙慶寺門前に所帯を持つ。子分ら10人あまりが逗留、家計は苦しい。

フランス2月革命。マルクス、エンゲルス(ドイツ)の「共産党宣言」(1848)

1853

嘉永6年

34

01

ペリー、軍艦4隻を伴い、浦賀に来航。黒船騒動。翌年の安政元年、駿河地方大地震。
クリミア戦争始まる。

1858

安政5年

39

捕吏をのがれ、子分達を連れ、名古屋の巾下の長兵衛のもとに逗留。12月晦日、『おちょう』病気のため死去。

日米修好通商条約。安政の大獄開始。
インド、セポイの反乱(1857)ムガール帝国の滅亡(1858)

1859

安政6年

40

久六の密告によって、捕吏の手に長兵衛が捕えられ牢死する。長五郎は逃れて寺津へ行く。六月、久六を斬り長兵衛の怨を晴らす。捕吏の探索きびしく、長五郎は大政や石松など子分を連れ、甲州、越後、加賀、越前さらに四国と長い逃避行。

函館、横浜、兵庫、長崎、新潟の五港が開港。安政の大獄で吉田松陰、橋本左内ら刑死。
ダーウィン(英国)種の起源を発表。

1860

万延1年

 41

石松を四国の金比羅神社に礼参りに行かせる。清水への帰途、石松は都田吉兵衛兄弟に二五両をだまし取られた上、斬殺される。(六月一日)次郎長一家、梅蔭寺住職宏田和尚のふるまったフグに当たり、角太郎、喜三郎が死亡。

勝海舟を艦長とする咸臨丸、アメリカに向け出帆。三月三日、大老井伊直弼、水戸浪士により桜田門外で殺害される。

1861

文久1年

42

次郎長一家がフグ毒で倒れていると聞き、石松斬殺の報復をおそれていた都田兄弟は逆襲を企て、清水に向かう。都田吉兵衛らが追分で昼食をとっているところを、報を聞いた大政らが襲い吉兵衛を討ち取り石松の怨を晴らす。

皇女和宮、御降嫁のため京都を発つ。
イタリア王国の成立。アメリカ南北戦争始まる。

1862

文久2年

43

甲州黒駒の勝蔵ら一味は、興津の盛之助に乱暴を働くなど悪事をもって横行し、捕吏の追うところとなる。

一月、坂下門外の変。四月、寺田屋騒動、八月生麦事件など、尊王攘夷運動高まる。

1866

慶応2年

47

笠砥神社(三重県)の祭礼の賭場に安濃徳ら黒駒勝蔵の一味が集まる。吉良の仁吉や大政ら清水の一党二十二人が、荒神山で血闘。大政が首魁の門之助を倒したが、仁吉は重傷、法印大五郎ら討死する。次郎長手勢四百人余を引連れて船で伊勢に渡り、安濃徳らは陳謝する。―荒神山の血闘。

長州征伐。 坂本竜馬による薩長同盟。翌年、慶応3年に大政奉還・王政復古。
ドイツ、マルクス「資本論」(1867)

1868

明治1年

49

四月 駿府町奉行廃され、伏谷如水駿府町差配役となり駿府治安に当たる。長五郎を召し出し、街道警固を命ずる。積年の罪科を免ぜられ帯刀を許される。黒駒勝蔵、池田数馬と変名し、官軍先鋒となって駿府に来る。見抜いた長五郎、勝蔵の江尻通過を拒む。七月 浜松藩に帰る伏谷如水を子分らと送る。江戸から海路清水港に上陸した旧幕臣とその家族ら難民を次郎長は炊出しなどで救護する。九月十八日、幕府軍艦咸臨丸、清水港内で官軍に攻撃される。港内に浮遊する幕軍の死体を、次郎長が収容し手厚く葬る。―咸臨丸事件。 十二月、三保神社神宮太田健太郎、徳川浪士により暗殺。市中取締役の次郎長はその遺族を救護し、治安に当たる。

三月、有栖川宮熾仁大総督の率いる東征軍が駿府に駐屯。駿府藩成立。八月、徳川家達駿府城に入る。勝海舟、山岡鉄舟、駿府藩幹事役に。江戸は東京となる。徳川慶喜、駿府宝台院に謹慎。駿府藩公議人杉浦梅澪、三保神社神宮殺人事件を中央政府に報告のため上京。

1869

明治2年

50

二月、二代目おちょう、次郎長の留守中徳川浪士と思われる男に白昼斬殺される。子分田中啓次郎、犯人と妙音寺にて討取る。 山岡鉄舟、「壮士之墓」の墓碑銘を揮亳(きもう)する。幕臣杉方了二(後の初代統計局長官)次郎長と会い、三保の塩田、有度山の開墾など移住土族投庫の道を探る。 十二月、廻船問屋松本屋の奥座敷で、新門辰五郎、次郎長と会い、徳川慶喜護衛役を依頼。

版籍奉還。駿府藩を靜岡藩と改める。(翌年、廃藩置県)

1872

明治5年

53

01

幕臣村上正局、遠州相良に油田発見。新橋横浜間に鉄道開通。福沢諭吉の「学問のすすめ」
ドイツ帝国の成立(1871)

1874

明治7年

55

向島の囚徒を使役し、富士裾野(大渕)の開墾をはじめる。県令大迫貞清は激励の歌を贈る。半田港から清水港に進出した中埜・盛田合弁による酒の量販店「中泉現金店」開業に力を貸す。

山岡鉄舟の義弟、石坂周造、相良油田を事業化。次郎長が協力する。

1875

明治8年

56

向島に波止場の建設はじまる。清水港は巴川の河口港から外海港に変身。次郎長は廻船問屋経営者たちに、蒸汽船による横浜港との定期航路開設を説く。

徳川慶喜の家臣白井音次郎、向島の土地二万坪を静岡県から六十円にて払下げを受ける。 横浜港からの茶輸出盛んになる。三菱商会、上海、横浜間に初の外国航路開設。

1876

明治9年

57

蒸汽船し靜岡丸、清水港と横浜港に就航。靜岡茶を横浜に運ぶ。次郎長は頻繁に横浜に行き、神風樓に宿泊、横浜商人と清水港廻船問屋経営者を結びつける。 この頃「これからの若い者は英語を知らなきゃだめだ」と、幕臣新井幹の開いた私塾「明徳館」の一室を使い、近隣の青年を集め英語塾を開設。

ベル、電話を発明。エジソン、蓄音機を発明。

1878

明治11年

59

波止場の建造、港橋の完成。アメリカ前大統領グラント将軍来港、次郎長は漁師達を集め投網を披露。11月、 山岡鉄舟が、戊辰戦争で不明となった父母妹の行方を尋ね遍歴する天田五郎を次郎長に引き合わせる。天田五郎は次郎長の家に逗留し、次郎長一代記『東海遊侠伝』を執筆。次郎長は全国の親分らに手紙を出し、五郎の父母妹の探索を支援する。

ベルリン会議。

1880

明治13年

61

横浜の輸出商、静岡の茶商、清水港の廻船問屋の三者の共同出資により静隆社設立。静岡丸、三保丸が帆航。次郎長は会社設立に尽力。茶の港清水の基礎を築く。

集会条例。自由民権運動の激化。
エジソン、炭素電球を発明(1879)

1881

明治14年

62

大政こと山本政五郎死去。天田五郎再び清水港にきて、次郎長の養子となる。富士の裾野の開墾続く。

萩原乙彦による「日本民権次郎長説話」の出版が企画されたが、表紙のみにて中止。幻の出版となる。
パスツール、狂犬病予防法を発見。

1884

明治17年

65

二月、博徒のいっせい刈込みにより、靜岡井之宮監獄に収監される。懲役七年、罰金四百円の刑。 天田五郎著による「東海遊侠伝・一名次郎長物語」が東京神田の与論社から出版。次郎長伝記の元祖となる。

一月、自由民権運の過激派湊省太郎、資金づくりのため強盗事件を起こす。次郎長収監は湊省太郎をかくまったとの一説あり。

1885

明治18年

66

十一月、次郎長こと山本長五郎、特赦放免となる。

内閣制度の実施。 旧幕臣関口隆吉、靜岡県知事(初代)に就任。
坪内逍遥「小説神髄」、尾崎紅葉ら活躍。

1886

明治19年

67

向島波止場の白井音次郎(徳川慶喜家臣)の所有地に、船宿『末廣』を開業。開業披露のため山岡鉄舟は4本の扇子に揮亳。

01

1887

明治20年

68

4月17日、興津清見寺において咸臨丸殉難者記念碑の除幕式が行われる。碑文は 榎本武揚 書。夜『末廣』にて関係者の慰労会がおこなわれる。

自転車や娘義太夫が大流行。 徳川慶喜自転車を購入し、静岡から清水へ遠乗り。
安保条例。二葉亭四迷「浮雲」。

1888

明治21年

69

山岡鉄舟死去。次郎長は旅姿にて東京谷中の全生庵の葬儀に参列。

01

1889

明治22年

70

静岡中学生 新村出、相原安次郎とともに次郎長を訪ねる。

東海道線開通。関口隆吉、鉄道事故のため死去。
帝国憲法の発布。パリ万博、エッフェル塔の建設。

1890

明治23年

71

海軍少佐 小笠原長生、軍艦天城に乗り組み来港、『末廣』を訪ねる。

第一回帝国議会。教育勅語の発布。

1892

明治25年

73

山田長政顕彰碑建立のため、駿府城内に大相撲興行を催す。

01

1893

明治26年

74

6月12日、次郎長、風邪がもとで死去。梅陰寺にて葬儀。参列者は3000人を超えた。法名は碩量軒雄山義海居士。

エジソン、映画を発明。翌年(1894)「日清戦争」起こる。


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