次郎長翁を知る会
『次郎長翁を知る会』


会報第4号



百年祭から次郎長元年へ


ともすれば、股旅の世界に埋没し去ろうとする次郎長像を引き起こし、人間次郎長を発掘し語り継ぐを合言葉に、当会が旗上げして早3年。百回忌のイベントから百年祭の行事を終え、今年は次郎長元年、新たな幕明けである。以下百年祭を総括する。
 

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 郷土トリオが次郎長を語る
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語る人  長銀総合研究所理事長    竹内 宏
          作   家    村松 友視
〈司会〉
 SBSラジオパーソナリティ  井出 孝

11月1日(平成5年)、フェルケール博物館で「次郎長シンポジウム」が開催された。11月1日は奇しくも、明治元年咸臨丸事件の起きた日である(陰暦9月18日)。シンポジウムのテーマはいうまでもなく「次郎長」、今なぜ次郎長かを中心に、郷土トリオがそれぞれ個性豊かな語りを展開し、200人を超える会場は熱気に包まれた。


井出 明治元年の9月18日に清水港で咸臨丸事件が起きました。太陽暦でいいますと11月1日。午後3時くらいに3隻の官軍の船が咸臨丸を攻撃し、乗組員が惨殺され海に捨てられた。きょうはそういう生々しい日です。この催しには、はるばると福島県いわき市から次郎長の養子だった天田愚庵ゆかりの愚庵会の方がた35人もご参加いただいております。
 まずお二人から、それぞれの次郎長像を。

村松 祖父の村松梢風が昭和2年頃「正伝清水次郎長」を書き、その原作で叔父が東映の「乱れ星荒神山」という映画をとった。小学校時代梅蔭寺の近くで育って「次郎長ごっこ」なんかもやった。そういう身内もからめて、次郎長がじわじわ浸透して来るはずなんですが、次郎長に特別の興味を持つということはなかった。やはり、虎造の浪曲東映の映画、そういったメジャーの世界からどかんと、インプットされた感じですね。ぼく自身は東京生まれですが、叔父の在所である遠州森町に疎開し、清水へ来て祖母に育てられた。遠州森町から清水港というと、それこそ(笑)。

竹内 子供の頃は、同級生に梅蔭寺の次男がいて境内で野球をやったりして、次郎長というと親しい身内の感じがする。清水からはあまり、下腹にぐっと来るような偉大な人物が出ていないが、次郎長の晩年をみると、何かそれに近い、時代を動かすような力を感じます。
 次郎長は榎本武揚から「人を使うコツは何か」と聞かれて、「人前で叱らないこと」と言ったそうです。鉄火場の経験を通して、人情の機微を知り人の動かし方を身につけていた。

村松 修羅場をくぐるというと、今の人にはなかなかむずかしい。70年安保の世代、浅間山荘で空中分解しちゃったけれども、あの世代は次郎長の感覚に近い。

井出 異端児としては、静岡の山田長政と双壁。

竹内 時代の変革期に、次郎長は見事な手腕を発揮した。変革期になればなるほど、情報をとり入れ、どこと提携すればいいかという勘が必要だ。江戸と京都を結ぶ東海道は、情報の太いパイプだ。

村松 次郎長は積極的に情報をつかもうというセンスがあった。

井出 「今なぜ次郎長か」という問いかけに対しては、どうお考えですか。

村松 次郎長があまりにも、引っ込み過ぎたんではないか、といういらだちがある。清水というこの土地にも、進取の精神があるんだ、ということを思い出させてくれる象徴として、次郎長を考えたいと思っています。

竹内 われわれが習った歴史は、京都史と江戸史なんです。清水は出てこない。明治維新の時、徳川の1万5千人を超える人たちが清水、静岡にやってきた。敗残兵のように。次郎長とその人たちとの関わりあい。時代の転換がいかに悲惨かは、地域ごとで考えないといけない。地域ごとで歴史を掘り起こしながら、アイデンテイフィケーションを求めてこ、そこから地域は自発的に成長して行くということが必要になった。





●天田五郎の歌碑初めて清水に

 次郎長が世に知られるようになったのは、明治17年に出版された「東海遊侠伝」による。
その著者天田五郎は、戊辰戦争で父母妹を失い、その行方をたずねて清水港の次郎長のもとに一時身を寄せていた。長五郎と五郎、それは切っても切れない深い縁で結ばれていたのである。その天田五郎が、富士裾野開墾時代に詠んだ歌が、石に刻まれ、歌碑として初めて清水に建立された。

 ふじがねにのぼりて四方の国みるも
 まづふるさとの 空をたずねて

 右の歌を、愚庵研究家として知られるいわき市の中柴光泰先生が選び、自ら筆をとって揮毫した。歌碑の除幕式は、平成5年11月2日、梅蔭寺の次郎長銅像前で行なわれた。この日には、百年祭に参加のいわき市からの35名の愚庵研究会の方がたや、東京から愚庵の子孫、天田晴彦氏も参加した。
 除幕を行なったのは、以上の方がたのほか、地元の清水市長宮城島弘正氏、当会会長竹内宏長銀総研理事長、梅蔭寺林仁山住職らである。なお、歌の吟詠をいわき市のいわき太郎氏が行った。




●日本一のちんどんグループが参加

 大阪でグループを結成している「ちんどん通信」は、日本一のちんどん屋としてその名が知られている。代表の林幸次郎は福岡大学理学部数学科から立命館大学経営学部卒業という変り種。次郎長百年祭に朝比奈勝さんの肝入りで出演がきまり、グループの6名が大阪から駈けつけ、清水の街を練り歩いた。リーダーの林さんが次郎長役、以下おてふ、大政、小政、森の石松、英語教師とそれぞれがふんした。さすが日本一だけに、これまでのチンドン屋イメージを超えたナウいパフォーマンスが、清水市民の目を引いた。左上写真は帆船フェアで入港中の日本丸が碇泊する埠頭での「ちんどん通信」グループ。




●鈴木与平最高顧問を偲ぶ

   母から次郎長のことは、いろいろ聞かされていましたし、次郎長が晩年経営した末広が移居された建物
のことも、昨日のことのように目に焼きついています。」
こう語る鈴木与平氏は、「次郎長翁を知る会」の旗上げに際して、並々ならない肩入れをして下さっ
た。清水市の名誉市民でもある氏はまた、次郎長の生きた伝承を語り継ぐ、数少ないお一人でもあった。
 明治43年(1910年)生まれ、鈴与グループのリーダーでもある鈴木与平氏は、平成5年5月23
日に逝去された。享年83歳。氏のお名前は当会名誉最高顧問として、名簿に永久に残されることとなる。
                                    



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