「軍神」として戦前には教科書にもうたわれた海軍中将     


● 広瀬武夫     

   広瀬武夫は明治元年に生まれた。飛騨高山の小学校を卒業後、小学校の教師をしていたが退職して上京、海軍兵 学校に入学した。明治30年、ロシア留学が命じられた。2年後には 駐在員となり、ロシア人の貴族社会で交際を広げた。日本のサムライである広 瀬は多くのロシア人から慕われ、恋人もできた。
 明治37年日本はロシアに宣戦布告。旅順口閉塞作戦で広瀬の指揮する福井丸は港口に総員後部甲板に集合を命じた直後、魚雷を受けた。探照灯に照らし出された福井丸には 要塞砲と駆逐艦の速射砲が集中 、全員ボートに移り退艦しようとした。そこで。部下に杉野孫七二等兵曹がいないことに気が付いた。 広瀬は「杉野!杉野!」と叫びながら捜し回り、敵弾の砲煙の中、ボートと船内を三度も往復した。いよいよ福井丸 が沈む段になり、脱出を決心、ボートを漕ぎださせると自ら爆 破スイッチを入れた。上げ潮のため脱出のボートはなかなか進まず、探照灯に捕捉されたままだった。敵の哨艇が速射砲でボートを砲撃、銅貨大の肉片と血だらけの海図を残して広瀬の姿は消えていた。福井丸の要員18名のうち広瀬を含む3人が戦死、杉野は行方不明 、4人が負傷した 。他の閉塞船で は負傷者6人のみだった。この行為は当時広く感動を呼んだ。広瀬は 戦死後、海軍中佐に昇進。彼は陸海軍通じて初の軍神となった。大分県竹田市の広瀬神社にまつられている。

 しばらくの間、過って「長崎県竹田市」と表記してました。お詫び申し上げます。御連絡をくださいました匿名様、御指摘ありがとうございました。

◎ 広瀬武夫と旅順港の旅順口閉塞作戦についてはこちら
http://homepage2.nifty.com/gunshin-gunzou/hirose-p.htm



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